2021.09.16 14:36下津村へ分家した櫛渕家2021.9.16更新 櫛渕達夫後閑村の櫛渕本家から分家した下津村の櫛渕家について、部分的に推測の域を出ない箇所もありますが、分家の経緯について筆者なりの考えを記しておきます。【まず後閑村本家の由緒について触れておきます】『真田信之』の沼田領主時代(西暦1590年~1616年)に、鹿嶋の地で剣術修行を積んだ『櫛渕主税宣常』(阿波国櫛渕村では『櫛渕五郎大夫成松』と名乗った)が、先祖が真田家と同じ信濃国であるという理由から、真田を頼って沼田へ転住し真田家の客分となった。以後は、真田家家臣となって2代『兵衛尉宣好』~3代『左近根常(常元)』と続き、『常元』の代で利根郡後閑村を領知した。天和元年(1681年)11月、4代『常久』のとき、沼田真田家が幕府より命じ...