2019.07.15 06:10幕末の剣豪櫛淵虚中軒の碑2020.1.10更新 櫛渕達夫 まず、訂正と言うか、タイトルにある「幕末の剣豪・・・」についてですが、疑義が生じましたので記しておきたいと思います。櫛淵虚中軒(櫛淵彌兵衛宣根)の生没年は、西暦1748年~1819年で71歳の生涯でした。また一般的に幕末とは、ペリーの黒船来航から戊辰戦争終結までの西暦1853年から1869年の16年間を指します。虚中軒没後34年経過して幕末になったのであり、タイトルにあるように幕末の剣豪ではありません。虚中軒は、江戸時代の中期~後期中頃までの人物でした。 この石碑は、上野恩賜公園内の「不忍池弁天堂」の裏側にあたる場所にある。ボート乗り場に行く手前である。
2019.07.11 12:16後閑橋(竹ノ下橋)合戦2019.7.15更新 櫛渕達夫『上野国利根郡村誌』月夜野町より抜粋古戦場 町ノ北方字東原ノ辺ヨリ、町ノ東利根川ノ岸ヲ云ウ、(中略)(天正)七年利根川以西漸ク北条氏二背キ真田氏二属ス、氏邦之ヲ聞キ先ツ名胡桃ヲ征シ、一戦大二敗レ帰リ、八年師再ヒ来リ当城ヲ攻ム、可遊斎精兵ヲ伏セ寡贏ヲ竹ノ下二出ス、南師之ヲ侮リ競ヒ進ミ小袖橋ヲ過キ、菩提木二至リ疾ク攻ム、拒戦少頃ニシテ之ヲ麾ク、伏兵四起ス、南師大驚キ退ク、追撃利根ノ川原二至リ敵止ル能ハズ、走リ橋ヲ争フ者相擠リ渉ル者、溺レ死スル者多シ、(以下略)[訳]古戦場の位置は、月夜野町の北方、字東原の辺りより、町の東方利根川の岸をいう。天正7年(1579)、利根川より西は暫く、北条氏に背いた真田氏に属した。北条氏邦はこれ...