利根沼田地域における幕末の土地支配状況です。
意外にも沼田藩の支配地域は、町村数において地域全体の34パーセントしかないです。前橋藩が2パーセント、幕府直轄領と旗本領で残りの64パーセントです。旧月夜野町の区域では、赤谷川右岸と赤谷川・利根川の合流点から利根川下流側右岸が全域旗本領です。対岸は沼田藩領。さて、ここでお気づきの方もいらっしゃると思いますが、まるで1589(天正17)年、北条と真田の領地争い仲裁の秀吉裁定のようです。その裁定は沼田城側を北条支配とし、名胡桃城側を真田支配とするものでした。ところが北条側が裁定を破り、名胡桃城を奪取してしまいました。秀吉の怒り買ったことによる小田原攻めの果て、北条氏は滅亡、秀吉の天下統一へと進んだ訳です。その当時の分割線が幕末まで続いていたということですね。
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