2020.9.14更新 櫛渕達夫
櫛渕氏の前の氏、つまり苗字が櫛渕に変わる前は秋元氏であった。
そして、秋元姓発祥の地は上総国周淮郡秋元荘(千葉県木更津市・君津市・富津市の一部)で、宇都宮頼綱の子・泰業が13世紀前半に本貫地としたことに始まる。後に師朝のときに秋元の名字を名乗ったという。
1221年頃、その宇都宮頼綱の娘が信濃国(長野県)の知行国主であった藤原為家(藤原定家の嫡男)に嫁いだ後、秋元氏の親族が信濃国下諏訪で金刺氏配下の豪族となった。後に諏訪大社の上社・下社の争いの中で上社諏訪氏に追われた秋元氏は1502年、信濃国守護小笠原氏・阿波国守護代三好氏の支援を受け阿波国櫛渕村(徳島県小松島市櫛渕町)に逃れて櫛渕氏に改めたという。
阿波国で守護細川氏との養子縁組も行い家臣となったことで、秋元氏の家紋と細川氏の家紋を合併して櫛渕氏の家紋としたようにも見えますが、さて皆さん如何でしょうか。
まず、秋元氏の家紋です。五つ木瓜。
次に、細川氏の家紋です。丸の内に二つ引き。
そして、櫛渕家家紋です。五瓜に二木。
最後に我家の家紋(櫛渕家紋の裏紋です。真向き月)
後閑の総本家土蔵(表)
後閑の総本家土蔵(裏)
総本家隣家の土蔵(表)
総本家隣家の土蔵(裏)
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