成立書について

2019.6.16更新 櫛渕達夫

 徳島大学附属図書館収蔵 近世大名(蜂須賀家)家臣団家譜資料「成立書」という史料で、蜂須賀家が家臣に対して、それぞれの家の系譜を書き上げさせたもので、その多くは天保5年(1834)に作成され、その後、文久元年(1861)に書き継いで提出されたものです。なかには、寛政年間に提出されたものも含まれており、提出時期とその目的については今後検討していく必要があるということです。また、明治期に入っても何度か書き継いで提出されています。明治期に提出されたものについても、その作成目的に関しては今後の検討が必要になるようです。

 成立書を提出した家臣は、家老などの重臣から無足人と呼ばれる下級の家臣までの全てです。その中で、重臣の家譜に当たるものは藩主個人の家に所蔵されて現在に至っており、最下級の家臣についての部分は国文学研究資料館(大学共同利用機関法人人間文化研究機構)に所蔵されているようです。従って、徳島大学附属図書館に所蔵されている史料は、最上級の家臣と最下級の家臣を除く家臣団の家譜と言えます。その意味では、家臣団の中枢を占めていた家臣団についての系譜を知ることが出来る史料なのです。

 蜂須賀家は、よく知られているように尾張出身で、尾張で勢力を伸ばし、その後播磨の竜野の領主となり、阿波の藩主となって明治まで阿波と淡路を支配していました。従って、家臣の中には尾張出身、竜野出身、さらには阿波出身のものがいます。この「成立書」には各家の初代が誰で、どこの出身であるかを始め、いつ頃からどのような役職を勤めたか、拝領した禄高、養子の場合の実父、婚姻関係までが詳細に書き記されています。また各家の系譜の記述の最後には系図が付けられ、その後には家紋が描かれています。

櫛渕史研究会

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