櫛渕史研究会
本サイトは、櫛渕の苗字の成立ちから現在までの歴史について調査研究したもののうち、公開可能と判断できる内容を掲載し、櫛渕について興味をお持ちの方にご覧頂くことを目的としています。
【トップページ家屋写真の説明】
この家屋の所在地は、現在の群馬県利根郡みなかみ町後閑である。櫛渕彌兵衛宣根(くしぶち やひょうえ のぶもと)の生家で、宣根は虚中軒と号し神道一心流で名を馳せ、一橋家剣術師範役を勤めるに至った。
天明元年(1781年)7月16日に建築され、大正10年のJR上越線(上越南線)開通により現在の位置に移築された。この画像は移築される以前の撮影で、今では線路敷になっているところである。(参考/ウィキペディア)
しかし、正しく言えば生家ではない。宣根の生まれは寛延元年5月10日(西暦1748年6月5日)であるから、宣根33歳の時に父彌兵衛宣久あるいは祖父彌兵衛宣之などが建立したと推測できる。従って宣根が33歳まで過ごした家屋はこの前身の建物であり、それがこの場所にあったかどうかは確認していない。宣根はこの後、寛政2年2月(1790年)42歳で江戸へ進出し、御徒町において剣術稽古場を創設した。
宣根から遡ること6代前の先祖が、阿波国櫛渕村から転住した櫛渕宣常(阿波では櫛渕五郎大夫成松と名乗っていた)であるとみている。
2019.6.14更新 櫛渕達夫